『アンギアーリの戦い』を予習しよう
こんにちは!
今、福岡市博物館で「レオナルド・ダ・ヴィンチとアンギアーリの戦い展」が開催されています。
行く前に予習をしておくと3倍くらいは楽しめるので、自分なりに調べておきたいと思います。(ラスコー展の時に少し後悔したので><)
アンギアーリの戦いとは?
15世紀半ば(1440年)にアンギアーリで行われた戦い。アンギアーリは、イタリアのトスカーナ地方にあります。中央にあるローマのすぐ上にありますね。(赤文字でToscanaと書いているところ)
そのアンギアーリにある橋を巡ってフィレンツェ共和国軍とミラノ公国軍が戦い、フィレンツェが勝利しました。
アンギアーリの戦いの絵画
アンギアーリの戦いから約60年が経った頃。1504年、レオナルド・ダ・ヴィンチは、フィレンツェ共和国からの依頼を受け、ヴェッキオ宮殿(現:フィレンツェ政庁舎)の大会議室(五百人広間)に絵を描くことになりました。
こちらがヴェッキオ宮殿。世界遺産「フィレンツェ歴史地区」の一部です。1299年から1314年にかけて、アルノルフォ・ディ・カンビオによって建設されました。ゴシック様式で、94mもある「アフノルフォの塔」がシンボルです。
そして、『アンギアーリの戦い』の作者、レオナルド・ダ・ヴィンチ。知らない人はいないと思います。
こちらは『自画像』
『ウィトルウィウス的人体図』ダヴィンチ・コードで出てきますよね。(私のとっても大好きな本です!ダンブラウン先生!)
『モナ・リザ』
『受胎告知』
『最後の晩餐』
あまりにも有名すぎる絵ばかりです。
そんなダ・ヴィンチが、ヴェッキオ宮殿の大会議室の壁に『アンギアーリの戦い』を描き、もう一方の壁にはミケランジェロが『カスチーナの戦い』を描く予定でした。何というビッグプロジェクト!
ちなみにミケランジェロは『ダヴィデ像』で有名です。(↓この銅像です)ヴェッキオ宮殿の門の前にありましたね。
どうして伝説になったのか?
1504〜1505年にかけて、ダ・ヴィンチは『アンギアーリの戦い』の製作に取り掛かります。『最後の晩餐』はフレスコ画法で描いていたようなのですが、とても苦労したようで、この時は油絵で描いたようです。(漆喰を塗って、それが乾く前に水性絵の具で描ききらないといけないのでそれが大変だったのかしら?)
いろんな工夫を施したようですが、絵の具が流れてしまうなどの問題が発生。色が混じってしまい、下半分しか守ることができませんでした。結局は完成させることができずに諦めたそうです。
ちなみに、『カッシーナの戦い』を描いていたミケランジェロは、下書きを終えた1505年、教皇のお墓を手掛けるためにローマへ連れ戻され、こちらも未完成のままとなります。
2人の未完成の作品が残されたまま6〜7年が過ぎ、1512年を迎えます。この間、絵画を勉強する者は誰でもヴェッキオ宮殿に入ることができたらしく、2人の下絵は多くの者に模写されました。
模写された作品
『アンギアーリの戦い』『カッシーナの戦い』は多くの人に模写されていますので、作者不明の絵画が数多く見つかっています。また、ダ・ヴィンチ自身によるスケッチ画もあります。
『カッシーナの戦いの模写』(アリストーティレ・ダ・サンガッロ)
『アンギアーリの戦いの模写』
『ダ・ヴィンチによるスケッチ』
『ダ・ヴィンチによるスケッチ』
『ダ・ヴィンチによる馬のスケッチ』
ある日、ミケランジェロに憧れるもその才能を妬んでいたというバンディネッリが、『カッシーナの戦い』を切り刻んでしまいます。
酷すぎるこの人!なんと、大会議室の鍵を複製して時間外に忍び込んだそうです!なんて悪いやつなんだ…と思ったんですが、色々調べてみると、バンディネッリさんはすごく勤勉だったみたいなんですね。
ミケランジェロの下絵を見ながら毎日毎日デッサンしていたそうです。しかし、ミケランジェロのように上手く描けず、怒って絵を切り刻み売ってしまったそうです。(本当かはわかりませんが)
そしてとってもイラッとするのが、このバンディネッリが作ったヘラクレスの銅像が、『ダヴィデ像』(ミケランジェロ作)の隣に立ってるんですよね…なんか腹立つ…だってヘラクレスの銅像あんまり美しくないんですよ!!お時間あったら皆さん是非調べてみてください(笑)
余談はさておき、ミケランジェロが描いた『カッシーナの戦い』が無くなってしまい、大会議室にはダ・ヴィンチの描いた『アンギアーリの戦い』だけが残りました。
しかし1555年、ヴェッキオ宮殿は改修工事をすることになります。この工事は1572年まで15年以上続くわけですが、その際、ダ・ヴィンチの描いた絵も無くなってしまったと考えられていました。
改修工事はジョルジョ・ヴァザーリという人物が手掛けました。彼はミケランジェロの弟子です。『キリスト降架』という、キリストが十字架から降ろされる場面の絵を描いています。他にも色々描いていますが、ここでは割愛。
ヴェッキオ宮殿は長い期間改修工事が行われたわけですから、ダ・ヴィンチの壁画の上から、別の絵が描かれたとされていました。誰もが当然『アンギアーリの戦い』は無くなってしまったと思っていたのです。
し!か!し!
今でもまだ『アンギアーリの戦い』は大会議室の中に残っているというのです!!!何だ〜〜〜この映画みたいなストーリー!
事件は会議室で起きてるんじゃない!大会議室で起きてるんだ!!!!
実は、改修工事を手掛けたヴァザーリ、『アンギアーリの戦い』を賞賛していたそうで、そんなヴァザーリがあんな素敵な絵を塗りつぶすはずがない!!と。調べてみると、どうやら室内にある絵画は『アンギアーリの戦い』を参考にしているものがいくつかあるそうです。実際に行って見て見たいなぁ。
そんなこんなで、色々研究が進められたそうです。ダ・ヴィンチの壁画がある大会議室ってとーーーっても大きいんです。ここでどんな会議するんだろうか…
こんな大きな壁の片方にダ・ヴィンチが、もう片方にミケランジェロが絵を描いていたんですね。残ってたらどんな感じだったんだろう。ちなみに、今描いてある絵は『The Battle of Marciano in the Chiana Valley』という作品でヴァザーリが描いたものらしい。
これも戦いの様子を描いた作品ですね。その絵の中に、『アンギアーリの戦い』に関するヒントがあるそうです。それがこちら。
緑の旗に“CERCA TROVA”と書いてあるのが見えます。これは聖書に出てくるフレーズらしくて、「探しなさない、そうすれば見つかるでしょう」という意味らしい。すごい…めっちゃヒントくれてる……。
(ソース: https://www.florenceinferno.com/the-battle-of-marciano/)
これまでは、ダ・ヴィンチの絵の上に新しい絵が描かれていると思われていました。
が!!
ダ・ヴィンチの壁画の上に、少し間を空けてもう1枚壁を作っていたらしい…。え〜〜!!?さっき画像でも見たと思うんですが、大会議室の壁って…もう…それはそれはめちゃくちゃデカイのにあれをもう1枚作ったって本当に大変すぎる。だって、『アンギアーリの戦い』って、『最後の晩餐』の3倍もあるんですよ!!巨大!!
だから改修工事に15年くらいかかったのか…と納得する部分もあるけれども。
ヴァザーリもまさか1人で改装工事したわけないですよね〜。でも、もし私が工事現場にいたなら、秘密にしろって言われても家族には言っちゃうと思うんですが、当時の人達は誰にも言わなかったんだろうか??そこらへんの絵描きさんが描いた絵ならまだしも、かの有名なレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた絵なのに。
工事する人達は、芸術家とか絵の良さとか分からないような、そんな身分(?)の人達だったのかな。
工事から時間が経ち、何百年が過ぎた今。研究者たちは、中性子線放射器を使って、壁の向こう側に絵の具の成分などがないか検査したそうです。ダ・ヴィンチの絵があるかもしれないからって、壁を取り壊すわけにはいきませんからね。
そしたら、ダ・ヴィンチが使っていた絵の具の顔料が発見されたそうな……噂では、右側の壁の後ろにダ・ヴィンチが描いた絵があるそうですよ……(コソッ)
見て見たいなぁ〜〜!!!最新の技術で、特殊な眼鏡かけたら手前の壁が透明に見えたりしたらいいのに!!!!!
それでは、さっそく週末に「レオナルド・ダ・ヴィンチとアンギアーリの戦い展」に行ってきます!楽しみ!!